宗道臣は、すべてのことが人によって行われるとするなら真の平和の達成は、
慈悲心と勇気と正義感の強い人間を一人でも多く育てる以外にないと気づいたのです。
そこで宗道臣は、
「万一生きて日本に帰ることができたら、私学校を開いて、志のある青年を集め、祖国復興に役立つ人間を育成しよう」
と決心しました。
こうして宗道臣は、残留をすすめてくれる中国人有志の好意を振り切って、懐かしい祖国に帰ってきました。
いざ帰国してみると、日本は敗戦直後の混乱期。
道義も人情もすたれ、日本人同志がお互いにいがみあって自分だけの幸せのみを考え、
他人の不幸を見て見ぬふりをすることに慣らされた道義も秩序もない弱肉強食の修羅場になっていました。
青少年の多くは、将来に対する夢と希望を失い、目前の享楽に我を忘れたり、過激な外国思想を受け入れてその虜になり、
祖国を見失って日本人であることさえ忘れかけているといったありさまでした。
これは、宗道臣が外地でつぶさに見てきた、
一部の亡国民族に共通する姿にほかなりません。
このままでは過去に輝かしい伝統をもつ日本民俗もやがて骨抜きにされてしまい、奴隷民族になりかねない状態だったのです。
宗道臣はこの状況に危機感を抱き、
「これではいけない。これからの半生を気骨のある青年の育成に捧げよう。」
と決心し、四国の多度津に道場を開きました。
そこで少林寺拳法の技術を教えることで若者を集め彼らに道を説きはじめました。
少林寺拳法は、拳技に優れた人を育てることだけを目的とせず、
拳技の上達によって身に付けた力と自信と勇気をもって、
人のために動くことができる人を育てることを目的としているのです。
「少林寺拳法 副読本 第一章 少林寺開創の動機と目的」より